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ゲバラが「このバーのお勧めは?」と訊ねると、ジムは「アイリッシュ・ウィスキーだ。」と答えた。ゲバラはそれをオーダーした。
トレンチコートを身にまとって突如、現れたゲバラの印象を、ジムは「アイルランド人のようにアイルランド人らしかった。」と回顧している。
ゲバラの死後、ジムは、チェ・ゲバラという男がこの世に存在したことを忘れさせないように、キューバの新聞記者 コルダが撮影した31歳の時のゲバラの写真をイラストにした。それは1968年のことだった。そして、出来るだけこの絵(ゲバラという男の存在)が世界中に広まるように、あえて、この作品を著作権フリーにした。
それ以降、世界中で数え切れないほどの商品やポスター、マグカップやT-Shirtなどのデザイン、人権運動や社会主義運動のシンボルとしても使用されただけでなく、アンディ・ウォーホル、バンクシー、DOLKを筆頭に、数え切れないほどのアーティスト達がゲバラをオマージュしている - それが、52年間、世界中のあらゆる所で使われて来たこのジム・フィッツパトリックの『ゲバラ』だ。
(上の写真は、現在のジム・フィッツパトリック本人と、彼のキャンバス作品「Viva Che」。)
1965年春、キューバでの市民権や公職を全て捨て、次の革命を成功させるべく、コンゴへ向けて発とうとするゲバラは、フィデル・カストロに「別れの手紙」を書いた。
そこには、「世界のほかの地で、僕のささやかな努力を必要としている。」「君には重い責任があるからできないが、僕には出来る。別れの時が来た。」
そして最後に、印象に強く残ったのは、妻子について「暮らしや教育に必要なものは、国が提供してくれると知っている。」と、記されていたことだ。(The Other Side of Guevara - ゲバラの実像より引用)
この「別れの手紙」から、カストロとの強い絆が感じられる。
フィデル・カストロとは、言わずと知れた、キューバ革命をゲバラとともに成功させた盟友である。
フィデル・カストロは、2016年11月に90歳の生涯を終えたところだが、ゲバラを失った後、ゲバラの意志を受け継ぎ、今やキューバは「知られざる医療大国(最先端医療に、ハーブ、ホメオパシー、レイキ、気功、鍼灸などの代替医療を融合させた自然療法)」になった。
それだけでなく、2014年、西アフリカで流行したエボラ出血熱に対処するため、派遣されたキューバの緊急医療チームの代表 デルガドは「キューバほど大勢の医療チームを海外に派遣している国も団体もない。」と自負する。
ゲバラも、キューバやボリビアに理想の国を作るべく出かけて行き、命を落とした。
他国を支援する「国際主義」はゲバラを通して脈々と受け継がれているのだろう。
ジム・フィッツパトリックもまた然り、2011年までありとあらゆる形で使われた「Viva Che(ゲバラ)」の著作権を取得し、国際的な医療支援も行なっているゲバラの家族へ寄贈している。
色調の異なる9枚の「VIVA CHE」をシルクスクリーンに転写した作品「Che Guebara」を発表しています。
これはもう、有名すぎるほど有名です。
Dolk「Che」はこちらで購入できます。今回販売する「VIVA CHE」は、ジム・フィッツパトリック本人が1968年に作ったオリジナルポスターを元に製作した直筆サイン入り、エディションナンバー入り、25枚限定のキャンバス作品です。
制作年 | 2016 |
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エディション | 25 |
サイン | あり |
技法 | シルクスクリーン・ハンドペイント |
サイズ | 縦 1000mm × 横 700mm |
コンディション | 新品 |
作品コード | jfp161201 |
入荷日 | 2020年11月 |